「猫は知っていた」について
仁木悦子は、公選1回目の第3回江戸川乱歩賞を「猫は知っていた」 で受賞しました。もともとは童話作家でしたが、この頃ミステリを 集中的に読み実作に繋がったといわれています。 受賞前後については色々と逸話がありますが、日本最初の本格ミステリ 作家であり、病気で半身不随の生活をおくっていた事もあり話題になり ました。 主人公の学生と同じペンネームにした事も、単なる思いつきと本人は 書いています。 話題性もありベストセラーになり、映画化されました。昭和30年台 前半の事で映像は見た事がありません。 雑誌「シナリオ」に高岩肇のシナリオが掲載されています。 昭和48年に円谷英二が、一話完結のテレビドラマで「恐怖劇場 アンバランス」を放映しました。 その中の1作が、水木譲・島かおり主演の「猫は知っていた」です。 基本通りの恐怖・サスペンスものが主体ですが、「猫は知っていた」 はその方面の味付けはあるものの本格ミステリとして見ても楽しめる 内容となっています。あえていえば、短い時間に無理に詰め込んで います。 「猫は知っていた」をはじめとする仁木兄弟長編4部作と数編の短編 が仁木悦子の代表作とする人と人気ミステリ投票の結果があります。 そして、昭和20年台の怪奇や特殊な名探偵物から、昭和30年台の 一般人探偵の日常的ストーリーへの移行のきっかけとなった作品と して、松本清張「点と線」とともにあげられる事が多いです。 仁木悦子ファンの筆者が繰り返し読んだ意見では、全く納得のゆかな い内容です。仁木作品長編の真価は「枯葉色の街で」以降、短編では 三影潤シリーズ・仁木悦子の結婚後の浅田悦子シリーズにあると考え ます。 「猫は知っていた」は表面的には変化はありますが、防空壕や秘密の 抜け穴など、昭和20年台の影響がまだ残っており、それが恐怖劇場 というドラマ化を可能にしたとこちらは映像から感じました。
台本について
私が保有している台本は、昭和33年頃のものです。 題名「猫は知っていた」 原作「仁木悦子」 映画「大映系」 脚本「高岩 肇」 監督「島 耕二」 主なキャスト 仁木悦子: 仁木田鶴子 雑誌「シナリオ」昭和33年3月号掲載
恐怖劇場アンバランス「猫は知っていた」について
題名「猫は知っていた」 原作「仁木悦子」 脚本「滝田 りょう」 監督「滝田 りょう」 主なキャスト 仁木雄太郎: 水木譲 仁木悦子: 島かおり 昭和48年2月26日放送
ミステリ映画について
映像化にあたっては、その面からと時間的な制約からかなり書き直 されることは今や常識です。 シナリオから見る限り、発端から最後までかなり変えられています。 もともとは、ストーリー全体のトリック作ではなく、複数のトリック と伏線と連続殺人とでなりたっています。 そして、やや見当ちがいな主人公の悦子の行動から話が進み、探偵 役の兄の雄太郎の推理は所どころの登場となります。 この2点を外さなければ、ミステリとしての矛盾は生じにくい作品と いえるかもしれません。 一方で「恐怖劇場アンバランス」の映像をみる限り、時間の制約で 省かざるをえない事情を考慮すると、恐怖という異なるモチーフでも ほとんど不自然さはかんじません。しかも本格の部分は、最低限必要 な部分は残しているので、人により求めるものが異なりますが、まず はまずまずの出来と思います。 仁木悦子は、もともと本格派作家の多くがもつ作りものの面白さを 優先させる立場であり、社会派やリアリズムに逃げる作家ではあり ませんので、脚本・映像化のは色々なふくらみをもたせ易い面も あるのではないかと思います。
原作がある場合はそれも考慮します
色々な呼び方があり、少しずつ意味は異なります
ここではやや影の部分といえるシナリオを読みます